自分と向き合った4ヶ月琉球古典音楽

去った6月10日に琉球古典音楽三線の試験に挑戦した。

1月末に課題曲が決まり、試験までの4ヶ月間、必死に稽古に

取組んだが、残念ながら結果は落選だった。

 

2016年の8月約10年ぶり琉球古典音楽の稽古を再開し

実力不足は承知の上ではあったけれど、兆戦したいという

欲求が先走っての受験だった。

 

古典音楽の世界は演奏、歌唱法法に一定の規範性があり

特に昔節といわれる長い曲になると、習得するのには相当な

稽古量が必要になる。

 

今回の落選原因は言うまでもなく、「稽古量」の不足だ。

 

試験は舞台の赤い毛氈の上で一人で受けるものなので

自分の実力以外に頼るものは無く、言い訳のできる場ではない。

まぎれもない自分自身が表現されるわけだ。

 

言い訳や課題を挙げてもきりがないだろう。

それよりも、一つの目標に向かって数ヶ月間努力するという

経験は久しぶりのことであり、自分自身と向き合う良い

機会になった。

 

 

同級生と再開した時に感じる焦りというやっかいなヤツ

大学を卒業して10年近くも経つと、活躍している同級生や

その道の専門家として一人前になっている同級生の話題が

聞かれるようになる。

 

他人と比較するな、自分の人生なんだから自分のことを考えろ

なんていう言葉はもっともで、あたりまえなんだけど

ただ、そうはいかないのが人間だろう。

 

SNSを開けば、Facebookが際限なく同級生や知人の

活躍を知らせてくる。

 

活躍しなきゃ、活躍したい、という強迫観念のようなものに

四六時中追いかけられているようで疲れる。

 

なんで、みんなは活躍しているのに、僕だけ夜中のオフィスで

PCに向かって退屈な仕事に時間を取られているんだろう。

 

取り残された感に、とてつもない焦りを感じる時間だ。

 

冷静さと勇気が欲しい。

 

 

またやってきた金曜日の夜

またやってきた金曜日の夜。

今夜はネットサーフィンでグズグズする前に

はてなブログに向かうことを思いついた。

 

まだ20時前、この辺で切り上げることができれば

金曜日の夜を有意義に過ごせそうである。

 

有意義な金曜の夜が過ごせれば

さらに、土曜日、日曜日も有意義に過ごせる

ように思うのだが。

 

意識と、言葉と、行動を整えて

自分の人生を歩むんだ。

 

 

今の自分に最も必要なもの「中身」

金曜の夜はオフィスに残りがちだ。

一週間ぶんの焦燥感が吹き出し、不安を埋めようと

とりとめもなくネットで情報を漁っている。

 

分かっているのにやめられないのだ。

 

週の中日や休日なら、そうさせない他の何かが

予定に入ってきて紛らわしてくれるけど、金曜はいけない。

 

自分がカラッポなんだ、それがいけないのだ。

 

僕は僕のカラッポの中を埋めようと人生をさまよっている

「あっ、これなんかいいんじゃない」なんていう風に

中身になるものをつねに物色している。

 

しかし、他の誰かのものであった中身はやはり他の誰かの

ものであるから、僕のカラッポはそんなことで埋まらない。

 

はぁ~埋まらないな、疲れた。

 

ダイアリーは自分自身を理解するために始めたようなものだ。

自分がどう感じているのかを文字に起こすこと。これはまぎれもなく

自分の中身がしていることだから、少なからず僕にも中身があることを

実感できる。

 

これまで中身を大事にしてこなかかったのかな、中身が大事だぜって

ふと感じた瞬間があったはずなのに、大事にできなかったな。

 

今からでも遅くない、すくなからずそう思っているからこんなことを

しているんだろ。

 

僕、金曜の夜はもっと素敵に過ごそうよ。

 

 

沖縄Uターン1周年に際して

2015年8月27日、確か旧暦7月14日旧盆の中の日だった。

僕と妻そして1歳5か月になった息子の3人は、大田区

南馬込から沖縄に移った。

 

僕にとっては2009年の1月に沖縄を後にしてからになるので

6年半暮らしたことになる。

 

沖縄は変わらないもの、変わったもも、色々あるけれど

一番変わったものは、沖縄に対する自分の視点だろう。

 

東京と沖縄を比較して安易に分かったふうをするのではなく

自分の暮らしやせいかつを良いものにしてくためのアクセント

にしたい。

 

しかし、沖縄だというのに昨年から台風の直撃がない

暴風雨に吹かれて、家にこもり朝寝をして「ああ、沖縄に帰ったなぁ」と

しみじみ感じたいところだったけれど、暫くおあずけだろうか。